今日も、やることに追われて一日が終わった。そんな夜に「何かいいことはあっただろうか」と考えると、すぐには思い浮かばないことがあります。
大きな出来事も、特別なご褒美もなかった。でも、おにぎりが美味しかった。温かいお茶を飲めた。無事に家に帰ってこられた。
そんなひとときを、小さな幸せと呼んでもよいのかもしれません。今回は、完成動画の台本「小さな幸せ」をもとに、日常の中にある安心を、ゆっくり見つめてみます。
小さな幸せは、誰かに説明できなくてもいい
「幸せ」と聞くと、旅行やお祝い、何かを達成した日を思い浮かべるかもしれません。誰かに話したくなるような、はっきりした喜びです。
けれど、帰宅して靴を脱いだときのほっとする感じも、いつもの椅子に腰を下ろす時間も、自分にとっては大切です。人に話したら「それだけ?」と言われそうなことでも、心が少しゆるんだなら、その感覚を大事にしてよいと思います。
誰かの暮らしと比べて、立派かどうかを決める必要はありません。自分が「悪くなかったな」と感じる瞬間には、自分だけの温かさがあります。
美味しかった一口、温かかった一杯
忙しいと、食事もお茶も、次の用事に向かう途中で済ませてしまうことがあります。味わう余裕がなかった日もあるでしょう。
もし今日は、おにぎりの一口を美味しいと感じられたなら。湯気の立つ湯のみを手にして「温かいな」と思えたなら。その短い時間を、急いで忘れなくてもよいのかもしれません。
特別なものを用意しなくても、いつもの味がうれしい日があります。豪華な食事ではないけれど、今の自分が食べたいものを食べられた。その喜びも、十分に自分のものです。
少し歩けたこと、好きな音を聴けたこと
遠くへ出かけなくても、近所を少し歩いて、空の色や風に気づくことがあります。昨日までは見過ごしていた花が、今日は目に入るかもしれません。
歩いた距離や、何分続けたかを成果にしなくても大丈夫です。「少し外に出られてよかった」。それくらいの感想で終わる散歩もあってよいと思います。
好きな音楽を一曲聴く時間も同じです。新しい曲を探さなくても、昔から好きな曲を、今の自分のために流してみる。音楽から思い出が浮かんだときには、昔の曲が心に響く理由も、ゆっくり読んでみてください。
無事に帰ってこられた日の安心
目立った出来事がない一日を「何もなかった」と言うことがあります。でも、その一日にも、仕事を終えたり、用事を済ませたり、誰かに気を配ったりした時間があったはずです。
玄関を開けて、荷物を置く。いつもの部屋の明かりをつける。「今日はもう、ここでゆっくりできる」と思えるなら、その安心も見過ごさずにいたいものです。
もちろん、帰宅してからも用事が続く日や、落ち着けない夜はあります。そんなときまで「幸せを感じなければ」と、自分に課題を増やす必要はありません。一息つける時間が来たときに、その一息を自分に許してあげられたらと思います。
気づけない日は、探さなくても大丈夫
小さな幸せを大切にすることが、「毎日よかったことを見つけなければ」という宿題になると、かえって窮屈です。疲れていたり、悲しいことがあったりすれば、何も思い浮かばない日もあります。
つらい気持ちを、小さな喜びで打ち消す必要はありません。今日はつらかった。それでも、お茶は温かかった。両方あってもよいのだと思います。
一日を振り返りたいときだけ、「少し安心できた瞬間はあったかな」と、自分に尋ねてみる。答えが出なければ、そこで終えてかまいません。
何もできなかった自分を責めてしまう夜には、何もしない休日は無駄ですか?休んだ自分を責めてしまうあなたへという記事もあります。休む時間まで、頑張りに変えなくてよいのです。
まとめ|今日の安心を、幸せと呼んでみる
美味しかった一口。温かかった一杯。少しだけ歩けた時間。好きな音楽。そして、無事に帰ってこられたこと。
幸せは、大げさな出来事だけを指す言葉ではないのかもしれません。今日の中に、少し安心できる瞬間があったなら、それも幸せと呼んでよいと思います。
見つからない日は、そのままで。ふと思い出せた日は、そのひとつを大切に。
今日、少しだけほっとしたのは、どんなときでしたか。

コメント